死なない程度に、手を繋いで

『まじめに生きるって損ですか?』雨宮まみ

年がバレるのだが、小学生の頃、「プロフィール帳」なるものが流行っていた。わたしはそんなこじゃれた物は持っていなくて、それはクラスのそんなに仲良くない子から「年賀状出すから書いて~」と言われて書かせていただくシロモノだった(たぶん年賀状は来ていない)。
一応プロフィール帳を知らない人に説明すると、バインダーにシートがたくさん挟まっていて、それはパンダとかウサギとかそういうキュートでポップなイラストが描かれた可愛らしいシートなのだが、名前、住所、生年月日から、月々の小遣いの額、親友、好きな人に至るまで、その人のありとあらゆる個人情報の記入欄があるのだ。今考えると空恐ろしいほどの土足deプライベート、初めに企画考えたやつスゲーな、今ならマイナンバーまで書かせられそう、という現代のデスノートことプロフィール帳なのだが、わたしには毎回一つだけどうしても埋められない箇所があった。それはどのプロフィール帳にも決まってある「最近の悩みは何か」という設問だった。のんびりというかぼんやりした子供だったので(たぶん今も変わってはいないのだが)、小学四年だか五年だかの自分には悩みがなかったらしい。毎回困った末、「特になし」と書いていた気がする。
ふり返ってみれば羨ましい。大人になった今なんて、悩みまみれなのに。悩みの海に溺れて窒息しそうなのに。ゼラチンを入れて、レモンでもいれて、固めて冷やして、食べちゃいたいくらいなのに。

そんなこんなで今回の課題本である。雨宮まみの『まじめに生きるって損ですか?』。
この本はもともとネットで連載されていて、わたしも読んでいた。

募集した匿名の誰かの、誰にも言えない個人的な愚痴を著者が聞く、というスタイルで構成されているのだけど、著者の姿勢がいい。基本的には、アドバイスをして悩みを解決しようとしたり、バッサリ斬ったり(最近このスタイルの人生相談あんまり見ない)はしない。本当に隣に寄り添って、ただじっと親しい人の愚痴を聞いているような感じ。わかりやすく悩みの本質を整理してくれる優しい言葉たちから、著者の聡明さや人柄の良さを感じる。
この本を読んで、意外とみんな似たようなことで悩んでいるんだなと思った。まったく同じ体験をしたことがあるということではないのだけど(小沢健二似の美しいワガママ元彼はいないし、美人でもないし、武士道も貫いていない。あ、でも誕生日はあまり祝ってもらえないかもしれない 笑)、本書の中の言葉でいうと「ものすごく個人的な言葉なのに(中略)どこか普遍性や現代性があると感じる」(p.005)。

わたしは自分に自信がないタイプなので、周りの人たちはみんなえらく立派に見える。でもそんな人たちも、自分と同じ悩みを持っていて、眠れない夜を過ごしたりもするんだな、となんだか励まされたような気持ちがした。

たとえみんな似たような悩みだろうと、辛いのはAさんでもBさんでも福山雅治でもなく、わたし自身だ、というのが人間の悩みなので、それがなんだと思われるかもしれない。でも自分を悩ますこの苦しみと、似たようなものを抱えて生きている人間がこの世界にいる、というのは結構なやすらぎのように感じられたのだ。お前の苦しみは今にもハゲワシに食べられそうな栄養失調のアフリカの子供よりマシだ、と言われたら心がしぼむが、もしその苦しみは誰かと共有できると言われたら、わたしには光が見える。本を読むことと同じだなと思った。本だけじゃなく、映画や舞台や漫画も。一人じゃないんだと気づける。孤独じゃないと気づける。うわー、人と愚痴り合いたい。友達欲しい!(笑)

 

あともう一つ、本書の中で言明されている「正しい」ことについてもなるほどなぁと思った。

「今の社会って(中略)善悪や正論が幅を利かせすぎていると思うんです。もちろん、善悪や正論が絶対に重視されなければいけない場はあります。でも、人間の心って善悪や、正しいことと正しくないことの間にあるものなんじゃないかと思うんです」(p.201)

雨宮まみ~~~~~~!!!!!!!(まなっちゃん風)
ちょっと最近、個人的に正しくて強い人に疲れていたので、この部分、首がもげるほど共感した。
正しい人は強い。批判されてもへっちゃら。間違ってないから。
それにこういう言い方はよくないけど、正しくあることって楽だし。間違ってないから。

でも言われて見れば、現代社会というのは自分を含め、善悪や正論を求め過ぎているのかもしれない。わたしは観ていないのだけど、焼きたてジャパンみたいな名前のバラエティ番組の人気は、まさにそれだと思うし。勧善懲悪だと人って安心するんだなと思った。嫌なやつは酷い目に遭ってほしいし、いい人にはいいことが起こってほしい。現実がそうじゃない分、余計にそう思うのかもしれない。そりゃ結婚宣言をしても偉い人に気に入られていれば干されないなら、十年間真面目に頑張ってきたまゆゆも怒るよってな具合で。
話は替わって、わたしは常々、江戸の町人になって宵越しの金は持たねぇ人生を送りたいと思っている。たぶん落語好きなせいだが、そういえば落語の中に出てくる人たちはみんな、よく言えば大らかだけど、ずるかったり、せこかったり、ちゃらんぽらんだったり、あと基本的に小者だ。そしてとにかく絶望的に間が抜けている。わたしはそんな、正しくて強い人には見えない、弱くて小さな人たちの愉快な世界が好きだ。この著者の本を読んでこういう類の気持ちになるなんて、いい意味で少し意外だった。

 

 

師走ですね。この読書リレーに終わりが近づいていて、少し寂しくなっています。最後のまなっちゃんに読ませる本、ですからね。もう悩みまくりました。
クリスマスの本もいいし、異性愛の話ではあるんですが、わたしの好きな漫画家、鳥飼茜先生の『地獄のガールフレンド』(全二巻)も読んでほしいし、そういえば児童書とか絵本も手をつけてなかったな、とか、本当にいろいろぐるぐる考えたんですが。
次回:『男同士の絆 ‐イギリス文学とホモソーシャルな欲望』イヴ・K・セジウィック
12月19日(火)まで

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