懐かしい日本の風景

妹尾河童「河童が覗いたニッポン」

身体が猛烈にかゆい! 半月前に結膜炎になって、コンタクトレンズを禁止された週があったんですね。で、ちょっとややこしいおしゃれな金属製のメガネ(ややこしいというのをメガネの形容に使うのははじめてだ)を掛けてたら、耳の後ろがかぶれてしまって。そのメガネもずっと前から使っていたやつで、別にかぶれなんて起きたこともなかったし、むしろ肌トラブルとは無縁の人生を送ってきていて、疲れてるときにややこしいメガネをかけるとこうなるのかなぁ、まあとりあえずプラスチックのに切り替えておくかとか思って放っておいたら、あれよあれよと耳の裏全体、首、顔、腕などにも広がってしまって。はじめは盛り上がっているだけでかゆくなかったのが、だんだん悶絶するかゆさになってしまって。なににも集中できないし、なにより眠れないんです。で、きょう皮膚科で、自家感作性の皮膚炎ねーと言われて、薬を出されました。とにかく、顔がプツプツしているだけでも気分として最悪だし、その範囲が数時間毎に広がっていくし、もうダメ、読書リレーにこんなに関係ないことを書かないとダメなくらいダメなんですけど、でも本は読めましたので。レビューしますね。

妹尾河童の『河童が覗いたニッポン』です。Amazonで中古のを買いました。新潮文庫。わたしは本を読むときにはまず後ろから開くのですが、和田誠が寄稿しており、ビビる。久しぶりに見たなー、和田誠の絵。そして本文を開く。ちなみにわたしは妹尾河童のものを見るのが初めてです。すごいね! 小学生のときによく緻密な迷路を書いていた男の子がいたけど、あれに似てる! そして字体が非常にかわいい! たしかにこれは図鑑がわりに読める!
ただ、この絵、じっくり見ることはできないです。細かいものが苦手なんですよね。間違い探しの絵本とかあったじゃないですか、細かいやつ。あれも小さい頃から苦手で、持っていません。ただ嫌いではないので、休み休み見るみたいな感じです。緻密ですごい。皇居の絵とか、すごかった。
文章に関しては、昔の日本ってこういう感じだったよね~!としみじみ思う感じで。皇居のところと、刑務所のところが特に面白かったんだけど、こういう言論って今発したらもはやリベラル扱いなんじゃないかなって思いました。悪者は死ぬまで働かせろみたいな、ほんとに新自由主義者が言いそうじゃないですか?(テキトー) そうそう、人権って口に出しても攻撃されない社会が過去にあったのだよね~と思いながら読みました。刑務所なんか、ほんとに、昔のルポって感じで、初めて読むのに懐かしい感じがしたな~(ここで、もしかして再読かもしれない?と一瞬思うが、おそらく初めてです)。

次の本ですけど、もうかゆくて、ただただ現在がつらくて、もう無理なんですよ。すべてを無に帰したい。それが不可能であれば、やさしい何かに包まれたい。でも支配してくるやさしさじゃなく、自立を求めてくるやさしさがほしい。
そういうとき支えてくれる文章を書く人が、……………いました!日本は惜しい人を亡くしましたよね!まじで!

じゃ、12月9日(日)までに、よろしく!

次回:雨宮まみ『まじめに生きるって損ですか?』

12月9日(日)まで

アマゾンのミニマリストと捨てられないパジャマ

部屋に物が多い。今視界に入るだけでパジャマが三つある。秋用のやや薄手のパジャマと冬用もパジャマと、さっきまで着ていた真冬用のもこもこパジャマだ。
ベッドの上にもやたらと物がある。ぬいぐるみの猫、クッション、枕、ぬいぐるみの猫、外したままのアイマスク、抱き枕っぽいぬいぐるみ。頭と体はひとつずつなのでどう考えてもそんなにいらない。
そもそも、わたしは部屋をきれいなまま維持しておくということがかなり苦手だ。理由はわかっている。使った物をすぐにもとに戻せないからだ。足の踏み場がなくなり、床の絨毯の色を忘れ、部屋が汚いことを夢に見てからが本番だ。やっと重い腰を上げ、なんとか一気に片づける。そして三日後にはまた同じ状態に戻る。だったらそもそも部屋に置く物の数を減らせばいいのだが、部屋は物で溢れかえっている。捨てても、またいつのまにか増えている。どうして?
話は逸れるが、昔、某通信学習の本のお悩み相談コーナーに、同じようなお悩みが書いてあったのを覚えている(正確にはわたしは悩んではいないのだが)。部屋を片づけられないのですがどうすればいいですか、という相談に対し、回答者は、部屋が全部ゴミ箱と思えばいいんじゃないですかというあんまりな答えをしていた。あんまりだが名案だ。その辺にゴミを放置しても、部屋全体がゴミ箱なのでなんら問題はない。
でもどうしよう。そうしたら、わたしまでゴミじゃないか。

 

完全に途中から本題を思い出すことすら放棄していたが、読書感想文である。別にわたしの三分で考えたぞんざいなおもしろ小話を披露する場ではなかった。
さて。今回の課題図書は『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』。おもしろフィールドワークの本だ(最低の紹介の仕方だ)。
今まで書いてきたことはすべてなかったことにして真面目に本の内容を書くと、ピダハン族というアマゾンの奥地に住む少数民族のもとへキリスト教を伝道しに行った元伝道師による、ピダハンの文化と言語、そして三十年以上にもわたる彼のフィールドワークの日々の紹介がつづられている。
ピダハン族の使う言語は、他に類を見ない、かなり珍しい言語らしい。まずありがとうやおやすみという意味の単語がない。左右や数、色を表す言葉もない。そして、どの言語にも見られる「再帰」という形式もない。例えば「掃除ができない女が感想を書く」という文がある。これが「再帰」だ(と思う。本に書かれている言語学のところはわりとちんぷんかんぷんなので、ふわふわした感じで読み飛ばしてほしい)。この文を解体すると、「掃除ができない人物」がいて、それは「~~という女」で、そしてそれらがさらに「女が感想を書く」という文の中にある。このような入れ子構造が「再帰」なのだが、これはどんな言語にも備わっていると考えられてきた。だがピダハン語にはこの「再帰」は見られず、きわめて単純な文が独立して存在するだけだ。これは言語学の定説を否定するもので、これが本の副題でもある「『言語本能』を超える文化と世界観」というわけだ。
さらに彼らの文化には創世神話もなければ、神さまもいない。これらのないないづくしには共通の事柄が関係している。それは、彼らは自分が直接体験したものしか信じないということだ。彼らの世界観の基本は「今、ここ、自分」だ。ピダハン族の人々は未来の心配をしないから、村には精神疾患も存在しないのだという。

つまり、言ってみれば、ピダハンは究極のミニマリストだ。彼らは「余計な」荷物を持たない。だから彼らは幸福でいつも笑っている。
異文化にどっぷりと浸かった研究者が、わたしたちの住む文化との差異や意外な共通点を提示し、それを読む読者の方は自分を取り巻く文化に疑問を持つ。それがこうしたフィールドワーク研究の本の面白さだと思っている。

日本の文化は多種多様な色の名前を持っていることが、たまにとても誇らしいことのように言われている。色の名前がたくさんあるのは風土や自然、そして着物という文化が関連しているし、個人的には微妙な違いを楽しむ心意気は大好きなのだが、別に色なんかなくても幸せに暮らしている人たちが地球の裏側にいるのである。もちろん色の多さと幸せ不幸せは直接関係しないが、文化には本来優劣なんてなく、そこにあるのは差異だけなのだと本書を読んで強く思った。

「今、ここ、自分」しかないピダハン族は幸福だ。心配事がないなんて羨ましい。でもそれは病気や自然の脅威のせいで常に死と隣り合わせの、死を特別なものとは見なさない過酷な環境や、全体でも四百人を割る小さな社会など、彼らを取り巻く世界が大きく関わっている。だがら、はい、今からピダハン族のように生活をして幸せを感じましょうとはいかない。いくらミニマリストがいいと言われようが、簡単になれたら苦労しない。今のところ、三つあるどのパジャマもわたしは手放せない。小汚いぬいぐるみもだ。でもだからこそ彼らの生活に憧れ、羨ましく思うのだと思う。

 

さて、次の本ですが、今回に続いて異文化がテーマの本にしようと思い、いくつか候補をピックアップしてみました。話題になる本って意外とこの手のテーマが多いのでしょうか。最近だと『バッタを倒しにアフリカへ』とか『ルワンダ中央銀行総裁日記』とか『英国一家、日本を食べる』とか、案外早く候補が見つかりました。

その中からさてどれにしようかと考えていたのですが、そのときふと、この読書リレーの目的を思い出しました。相互理解です。どれも面白い本ですが、目的を果たすにふさわしいかというと微妙です。熟考の末、まっちは最適解を求めて、Amazonへ飛んだ――

家の本棚に同じシリーズの本がたくさんあったので、よく絵本替わりに読んでいた本です。こういう細かいところまで描かれた絵が大好きで、そういう図鑑もよく眺めていたなと思い出しました。絶版の本も売ってるAmazon、ありがとう!オネシャス!!

次回:『河童が覗いたニッポン』妹尾河童

11月29日まで

 

 

深い、血と暴力と、緑

深緑野分『オーブランの少女』

なんて綺麗なペンネームなんでしょうか。というか、ペンネームですよね? 中身もこれを裏切らない美しさでした。そして血、暴力だった。
前回オススメした町田康『告白』は、読書リレーをはじめることになったときからずーっと候補に入れていたやつで、でも物理的に痛いのが苦手だと言っていたので避けてたんだけど、この前の記事を書いたときにちょうど氷結9%を飲んでいたので、もうめちゃくちゃになって、すすめてしまったんですよ。酒のせいにするのはよくないね……。酒を飲んだときに出るのは、その人のほんとうの姿だね。

さて。今回教えてもらったのは深緑野分『オーブランの少女』。これも血と暴力だったんだけど、やっぱり、まっちがすすめてくれる血と暴力の話はもっと美しかったですね。すごくすごーく、面白かったです! ベーコンエッグが食べたくなったけどベーコンを切らしていて、コンビーフエッグにすることにして、食べてから一気に読みました。
この話、タイトルでぐぐると、「百合」とサジェストされる。百合……です! たしかに、百合ですね。百合の定義が実際あんまりよくわかっていないのですが、確かに、帰納法的にいって、百合でしたね。からだに障害を抱えていたり、疾患を持っていたりする少女たちのサナトリウムで起きた事件の話。そして、その事実がわかったとき……。という話ですね。

この人のペンネームから見てとれるように、濃い木々のにおいが今にもしてきそうな話です。耽美的と感想に書いている人たちもいたけど、むしろ清々しい、さっぱりした文章の書き方じゃないかな。非常に読みやすい書き方でした。たしかにシチュエーションはお耽美な雰囲気もあるんだけど、この話の魅力は、もっとカラッとしていて、描き切った少女たちの生活と、血と、暴力だと思います。そして、ここでいう血というのは、暴力によって流血するものと、からだに流れている、そして親に流れている、よって共同体意識のようなものを呼び起こすものと、ふたつを指していますよ。短い話だから、最後までたどり着いたとき、「え!」と言ってまた冒頭を読んじゃったよね。刺激的な話で、本当に面白かったです。全く普段やらない読書でした。あとやっぱり、短編の読後感は、長編とはまた違って、いいよね! 終わった後に疲れた〜ってならない感じが。それは町田康の『告白』みたいな長編を想像して比較しているからでもあるのですが……。

そういえば、前回、まっちから「読書遍歴とか、読書に関するエトセトラ的なこと」をリクエストされていたので、それにお答えしながら、いかに普段『オーブランの少女』的な読書はしないか、証明しようと思います。(”ない”ことの証明は難しい)

この機会に振り返ってみてよくわかったのですが、ざっくりいうと、わたしの読書は、「『わかる』ようになるための読書」でした。だから、まっちのことを「わかる」ようになるためだったらいくらでも読めるんだけど、そうじゃないと読めないみたいな本がわんさかあるわけですね。わたしの知的好奇心が働かないと読書をしないというのと、一つのテーマについては深く勉強できるけど、なかなか視野が広がらないという欠点を持っていて、そういう意味でこの読書リレーにとても助けられているんですよね。

あと、割と大学時代によく本を読んだので、自分の中に影響を与えているのもその時期の本なのかなぁと漠然と思っていたんだけど、違いました。おそらく読書する習慣ができたのは、幼少期だと思う。あと中学生のときに毎日本屋で待ち合わせをしてくれた友達がいたのも(その子のことが好きで、彼女が読んでいる本を読ませてもらったりしてましたねぇ〜、青春……)大きかったようですね。

で、やっぱり、よく覚えている本は何かを説明している本だったり、それを読んでわたしが何かをわかったと思った本だったりするわけで、「わかりたい」がわたしの読書欲?の原動力になっているようです。だから小説あんまり読まないんですよね、まどろっこしくて、「本質を先に書いて!よろしく!」みたいになってしまい、最後まで読めない。あと、有名作も、心底興味が湧かなければ読み通せない。だから、まっちが前回書いていたような、「時間を返せ!」って思ったこと、ないです。あ、これ今読めないやパス、が続いていく。逆に言えば、「面白かった〜!」って思うような本ばかり読んでます。読んだと言い切れる本は少ないんだけど、目を通し(て、途中で捨て)ている本は多いっていう感じですかね。あ、すすめた本は全て、冒頭から最後まで、読んでますよ(ルール通り)!

次の本のことを考えます。
今まで読んだ本のことを考えたら、大好きな本の中にはけっこう血と暴力だねとしか言えないものが多いことに気づきました。村上龍とか、小川洋子の初期とかね。そういう話がもともと好きなんですよね。
とはいえ、『告白』もそういう話だったし、もっと軽く読めるほうが楽しいですね。わたしがエンタメ系に触れず純文学を読みまくっているということも分かったし。
……………でも、ごめん!!!!!! 「わかる」本の話をしていたら、これしか思いつかないや!!!!!
長いけど、図書館で借りてね!!!!!

次回:11月19日(日)まで ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン』

上の文章を書くのに使った思考の残滓ですけど、名残惜しいので、置いておきますね。
書いた本は全て最初から最後までページを繰っていますよ!

  • おそらく生育上初めて夢中になった本は図鑑。
    • 家に恐竜図鑑と星座図鑑と子ども用の百科事典があって、そればっかりずっと読んでいた。
    • シンデレラとか白雪姫とかも読んだ記憶があるんだけど、それは妹が産まれてからだと思う。
    • 好きでよく読み聞かせしてもらっていたのは、『ダヤンのミステリークッキング』
  • 小学校
    • ワープロを使ってレシピ本を模写するのが好きな子ども。
    • ほどなくして家にwindows95がくる。ホームページ作りにはまり、HTMLを勉強する。HTMLに関するサイトや本に没頭する。
    • やったこともないゲームの攻略本を読むのにハマる。
      • 一番よく覚えているのは、MOTHER1・2の攻略本で、攻略本を読みこんだあとに実際プレイしようとしてみたんだけど、すぐ飽きてやめてしまった。
    • 漫画も並行して読んでいて、りぼんと、手塚治虫。
      • ブラックジャック、火の鳥、ブッダ、アドルフに告ぐ、陽だまりの樹。
    • 友達が赤毛のアンとかあしながおじさんとかハリーポッターとかダレン・シャンとかキノの旅とか読んでいるが、無視。
      • あまりにもそのあたりは読めない。今も期日と理由がないと難しい。
      • ハリー・ポッターは二次創作の小説を読みたくて読んだ。ルーピン先生のことが知りたくて。
    • 国語で一番好きなのは説明文。
  • 中学校
    • 友達と毎日本屋に遊びにいっている時期。
    • 小説が読めるようになる。
      • 国語便覧に載っている人たちを知っているのが嬉しかった。
      • ネタバレを先回りして知っているのが嬉しいみたいな感覚?
        • 一番最初に読んだのは、当時先鋭の新人、乙一。
        • 横溝正史(好きな子が読んでいた)
        • 京極夏彦(分厚くて興味があった)
        • 涼宮ハルヒの憂鬱とか西尾維新の物語シリーズとか空の境界とか、ラノベ(同級生にすすめられるままに)
        • 嶽本野ばら(エロガキ)
        • 村上龍とか村上春樹も
          • 村上龍『限りなく透明に近いブルー』『コインロッカー・ベイビーズ』を母にすすめられて読み、次に自発的に手に取った『海の向こうで戦争が始まる』で、スキ〜となる。
          • 血と暴力ね。
          • 村上春樹は、あまりに一気に読めてびっくりした以外、よく覚えてない。
        • 江國香織も、読んだけど覚えてない。
        • 『人間失格』『金閣寺』『小僧の神様』『山椒魚』『ロビンソン漂流記』『野菊の墓』『海と毒薬』とかも読んだ。文学文学〜
        • 『枕草子』とか『方丈記』とか(古典が読めるようになると読める日本語が増える!)
          • もう絶版っぽいから課題本としてはオススメできないんだけど、酒井順子の『枕草子REMIX』という本がとてつもなく面白いです。
        • 殺人事件のルポを読みまくってた時期があった
          • 中二病がひどかったのもあるんだけど、まあ平たくいうと思春期はつらかった。
          • 血と暴力ね。
    • でも、一番衝撃を受けたのは、養老孟司の『解剖学教室へようこそ』
      • この本の中にある、あるモノ・コトを示す単語が生まれるのは、物を切断するからなんだよ!という考えは、今も有効活用している。
  • 高校
    • もう完全に今の感じ。
    • この頃、『乳と卵』が芥川賞をとる。
      • 一度これを読んで、発狂します。
      • 女性性に耐えられなかった。
    • 小川洋子『妊娠カレンダー』
      • これは発狂しなかった。女性性をぶっ殺す、ぶっ壊すみたいな内容だからいけた。
      • このときに村田沙耶香を読んでいなくて本当によかった。
    • 大江健三郎
      • 血と暴力ね。
    • 漫画もよく読んだ。
      • 中村明日美子とか、オノ・ナツメにハマる。
        • 血と暴力ね。
    • あとはひたすら、エロ小説。
      • 西田三郎のやつを、めちゃくちゃ、片っぱしから読んだ。私生活が抑圧されすぎていて、もう無理だったときね。
  • 大学
    • 大江健三郎を再読
    • 円城塔!!
      • そのときハマっていた大学の授業と内容がリンクしていて、それで興奮して好きに拍車がかかったというのもある。
      • 小説が意味不明なのに、エッセイが読みやすいところが難解で、わかりたい!という気持ちになる。
      • でも、おそらく氏の書く文章は小説もエッセイも文法が変わるわけではなくて、わたしが単に小説の論理構造を理解できていないだけなんだろうという仮説も既にある。
    • 村上龍を再読
      • やっぱ血と暴力はいいよね。
    • 学術書を読まされて開眼する
    • 思考法みたいな本も読む
  • 現在
    • 新書、
    • 純文学、
      • 今年、ようやく村田沙耶香に出会ってしまった。とんでもない人だった。
      • 町田康が好き。
        • 血と暴力ね。
    • 軽く読めるエッセイとか、ビジネス書に逃げがち。
      • 『LEAN INとか、結構面白かったよ。
      • 『勉強の哲学』もここに入るか。
    • ごくたまにレシピ本。